大変なことでもするように
私の胸はドキドキした。私は、人がかたわらへよっても見向きもしない子供の顔を見ながら、何をどう云って見ようかということを散々迷った。
けれども、どんなことを云ったら、子供の心を引くことが出来るか分らなかったので、四苦八苦してようよう、
「どうしているの?」
と云った。
この一句が唇をはなれないうちに、私はもう自分のやりそこないに気が付いた。
どんな人でも、ぼんやりと、目にも心にも何にもたしかな物が写っていないとき、「どうしているの?」と云われたら恐らく、答えに窮するにきまっている。
私は困ったことをしたと思いながら様子を見ていると、彼は暫くたってからのろのろと、顔を私の方に向けた。そして、非常に突出した、瞬きをすることの少い目玉を据えて、私を見ているような位置になった。
私も彼を見ていた。私はほんとに注意して、観ていたのである。
そうすると、だんだん彼の顔付が凄くなって、仕舞いには、「彼の感じ」がそろそろと私の顔に乗り移って来たような気持がして来た。
もう、私は意地も我慢もなくなった。そして、一散走りに家へ帰ると、力一杯顔を洗い、鏡を見つめて、ようよう気が休まったのである。
最初の試みは、私の例の幻覚ですっかり失敗してしまった。けれども、それから二度目三度目になると少しずつ彼に馴れて来た。
が、やはりだまったまま一緒に立っているか、何か云って彼の注意力をためして見るばかりで、一向進むことはない。
私は彼の囲りを、堂々廻りしているような工合であった。
善馬鹿の子に対しては、全く何も出来なかったけれども、他のことは少しずつ好い方に向いて行った。
足の裏の腫物のために悩んでいた百姓は、町の医者に掛って癒った。
桶屋の娘へは、ときどき牛乳だの魚だのを持たせてやった。
そして、ほんとに下らないことではあるが、癒った男が畑に出ているのを見たり、甚助の子供が、遣った着物を着ているのを見たりすることは、むしょうに嬉しかった。歩き出しの子供が、面白さに夜眠ることも忘れて歩きたがる通りに、私も一人でも自分の何かしてやることの出来る者が殖えれば殖えるほど、元気が付いた。
また実際、どれだけしてやったらそれで好いという見越しはつかないほど、いろいろな物が乏しく足らぬ勝であったのだ。
私は、自分の出来るだけのことを尽そうとした。
けれども、私は「自分のもの」という一銭の金も一粒の米も持っていないので、誰に何を一つやろうにも一々祖母にたのんで出してもらわなければならない。
それが、私のしようとすることが多くなればなるほど屡々になり、随ってだんだんたのむのが苦痛になって来る。
が、然しそれは仕方がなかった。私はほんとに、無尽な財産がほしかった。そして、この村中を驚くほど調った、或る程度まで楽な者の集りにして、貧しい者は人間だと思わないような者共の前に、突きつけてやったらと思わない訳には行かなかったのである。

八
この村の農民共は、子供の教育などということをちっとも考えていない。子供等は生み落されたまま、自然に大きくなって男になり女になりして行くのである。
もちろん彼等だって子供は可愛い。けれども、すべて単純な感情に支配されている彼等は、子供を育てるにも、可愛いとなると舐殺(なめころ)しかねないほど真暗になって可愛がる。
が、若し何か気に入らないことや、憎いことをしでもしようものなら、彼等はほんとに可愛さあまって憎さが百倍になってしまう。擲(なぐ)る蹴る罵るくらいはあたりまえで、ひどくなると傷まで負わせて平気である。
そんなときは、子供だなどという気持はなくただ憎らしい、ただ腹が立つばかりなのである。
それ故、子供等はよほど健康な生れ附きでないと、大抵は十にならない内に死ぬかどうかしてしまう。
どんな木の実でも草の実でも、食べたい放題食べ、炎天で裸身(はだか)になっていようと、冬の最中に水をあびようと、くしゃみ一つしない人間が育って行くのである。
病気になれば、医者にかけるより先ずおまじないをするので、腐った水をのまされたり、何だか分らない丸薬を呑まされたりして、親達の迷信の人身御供(ひとみごくう)に上るものは決してすくなくない。
体は丈夫に育っても、親達がその日暮しに迫られているので、子供を学校という暇つぶしな所へはなかなかやられない。
女の子は早くから母親の代りをして家のことをとりしきってしなければならず、男の子は弟達の世話や畑の小仕事に使われる。
小作の親達は、子供等が小作の境界(きょうがい)から脱けられるだけの力をつけてやれないので、小作の子は小作で終ってしまうのが、定りのようになっているのである。
うざうざいる子供等は、だんだん衰えて来る親達に代って、地主共の食膳を肥すべく育っているようなものである。
そのような様子なので、少し普通でない性格を持った子は堕ちるなら堕ちる所へさっさと堕ちて、少し大きくなればどっか好きな所へ飛び出してしまう。
まして低能や白痴などはまるで顧みられない。村中の悪太郎の慰み物になっているより外ないのである。
それゆえ善馬鹿とその子等も、村の者が笑いのたねにこそすれ、心配してやるなどということは夢にも思わない。
善馬鹿の、名もない白痴の子は、豆腐を食べては子供等に馬の糞を押しつけられたり、髪が延びている所へ藁切れを結びつけられたりしているよりほかないのである。
だんだん日数が経って、少しずつ自分の願いが叶いそうになって来るにつれて私は益々、白痴の子のことが気になってたまらなくなった。
それで、私はどうにかして彼に近づこうとした。けれども、それはなかなかな仕事で、私の変に臆病な心持が、どうしても彼の傍に私の足を止めて置かせない。四五度遣りかけてはやめ遣りかけてはやめして、とうとうある日の夕方、彼のかたわらに私は立ちどまった。

私はまた幾分か心が安らかになった
そして元来た道を戻って、小川の所へ行って見た。いつも誰かが魚をすくっているそこに今日は甚助の子供達が来ていた。
子供達は熱心にしていたけれども、流れの工合が悪かったと見えて、網に掛るものは塵(ごみ)ばっかりである。
暫くだまっていた私はフト、
「ちっともとれないのね」
と云った。
そのとき、初めて私がいるのに気が付いたらしい子供達は皆ニヤニヤしながら、顔を見合っていたが、中の一人が、おかしい訛のある調子で、
「ちっともとれねえのね」
と口真似をした。
このいたずらはすっかり私を喜ばせた。
彼等がそんなことをするくらい私に、馴染(なじ)んで来たのかと思うと嬉しかったので、私はしきりにほめた。
子供達は、私の笑う顔を薄笑いして見ていたが、急に持って来た鍋や網をとりあげると、何かしめし合せて調子を合せると一時に、
「ほいと! ほいと! ほいとおーっ!」
と叫んだ。
そして崩れるように笑うと、岸の粘土(ねばつち)に深くついた馬の足跡にすべり込みながら、サッサと馳けて行ってしまったのである。
私は、何が何だか分らなかったけれども、ぼんやり川面(かわづら)をながめながら、非常に生々と快く響いた彼等の合唱を心のうちで繰返した。
「ほいと! ほいと! ほいとおーっ!」
私は小声で口誦(くちずさ)みながら家に帰った。
そして誰もいない自分の書斎に坐ると、あの子等のしたように大きな口をあけて叫んで見た。
「ほいと! ほいと! ほいとおーっ!」
ところへ、祖母が珍らしく妙に不機嫌な顔をして入って来て云った。
「お前は一体何を云っているの? そんな大きな年をして馬鹿をおしでない」
私はちっとも知らなかった。「ほいと」というのは「乞食」を指す方言であったのだ。

私は黙って立っていた。
先生もだまって立っていた。
そして暫くの間立っていた先生はやがて少し腹を立てたような声で、
「一体あなたはどこの人なんです?」
と云った。
「私? 岸田の者だわ……」
たった十ばかりだった私はそのとき何と思ったのだろう!
「岸田の者だわ……」
私はどのくらい落付いて自信あるらしく云ったことだろう! 名を聞けばきっと貸すということを明かに思って、随分とのしかかった心持で微笑さえしたではないか?
「あ! そうですか。じゃあかまいません。さあお上りなさい」
と、導かれてどういう満足でもってその鍵盤に指を置いたか!
今になって私はその正直だった若い教師を非常に気の毒に思うと同時に、私自身の態度の心持を堪らなく恥しくすまなく感じない訳には行かない。
小さい、ものも分らない私にまで、自分の理由のある出言を撤回したあの教師が、あの若さでありながらふだんからどのくらい、自己を枉(ま)げることに馴らされていたかと思うと、ほんとに堪らない。
若し今の私がその教師だったら?
私はどうしたってききはしない。ましてそんな人を呑んでかかるような態度を見たら、どのくらい怒るか分らない。かえって叱って叱って、叱りとばして追い帰すだろうのに――。
私は涙がこぼれそうになった。
自分は欠点だらけな人間だけれども、そんな恥しい思い出にせめられるのは情ない。
重く沈んだ心持になって、むこうの窓を眺めていると、子供達の頭の波をのり越えて、一つの顔が自分を見ているのに気が付いた。
その顔は、殆ど四角に近いほど顎骨が突出て、赤くムクムクと肥っている。
非常に無邪気な感じを与える峯の太い鼻。睫毛(まつげ)をすっかり抜いたような瞼がピチピチとしている眼は、ふくれ上った眼蓋(まぶた)と盛り上った頬に挾まれて、さも窮屈そうに並んでいる。
私は、正直そうなどちらかといえば愚直だといえるほどの顔をまじまじ眺めていると、益々あの自分の我儘に己を枉げてくれた教師と非常に似ているように思えて来た。
で、私は立ち上った。そして、微笑を浮べながら丁寧なお辞儀をした。
私は満足した。けれども、若者は非常にまごついたらしかった。妙な顔をして、大いそぎで窓わくのそばから離れて、彼方に見えなくなってしまったのである。
彼は私がふざけたのだと思ったかもしれない。
けれども、これで、今もなおどこかの空の下で今この同じ日の光りを浴びながら生きているあの日の若い教師に対して、自分はしなければならなかったものを、ようやく果たしたような気がした。

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